入院
2004年12月2日
癌宣告を受けた翌日日赤の外科外来を尋ねました
予約が入っていたので15分程で診察室へ
医 「状況はご存知ですか?」
私 「はい」
医 「直ぐに手術が必要です、このままではいつ腸閉塞を起こすかも判りません」
私 「はい、人工肛門は避けられませんか?」
医 「問題は肛門の近くの部分です。2cmしかありませんので肛門筋を含めてスッポリ取り除きますので避けようはありません」
私 「例えば・・・今回は緊急性のある奥の方だけ手術をして肛門近くは抗癌剤などで治療は出来ませんか?」
医 「何を言っているんですか!!ここで手術をするのであれば私の治療方針以外は認めません!」
医 「ここで手術をするのであれば来月半ば以降、1月の15日過ぎになります」
医 「どうしますか?急いで本荘で手術をした方が良いと思いますよ」
医 「本荘で手術をするのであれば紹介状を書きます」
緊急に手術が必要と言いながら来月の半ば以降なんて・・・
これで私の心は決まりました
私 「本荘の第一病院でお願いします」
医 「解りました、紹介状を書きますので待合室でお待ち下さい」
とっさに本荘第一病院の名前が出たのは前に父が胃癌の手術をした処で、その結果が良かったからでした
30分程待って大きな茶封筒に「本荘第一病院 鈴木先生宛て」と書かれた紹介状を頂くことができました
日赤病院を出て直ぐに自宅に電話して第一病院の電話番号を調べてもらい直ぐに電話をしました
私 「私、今秋田の日赤で鈴木先生宛ての紹介状を頂いたのですがこれからお伺いしてもいでしょうか?」
受 「担当に替わりますので少々お待ち下さい」
金 「金子です、鈴木先生は今外に出ていますが連絡してみます」
金 「今はどちらですか?」
私 「秋田です」
金 「ではこちらに着きましたら受付で金子をお呼び下さい」
私 「はい 解りました、1時間位で着くと思います」
本荘第一病院に着いたのはPM1:00頃でした
受付で金子さんをお願いしたら直ぐに来てくれました
紹介状を渡すと
金 「先生がお待ちです、こちらにどうぞ」
一寸間を置いて診察室にはいると鈴木先生が紹介状を手にニコニコと迎えて下さいました
医 「状況はお解りですか?」
私 「はい、癌と言われ緊急に手術が必要と言われました」
日赤からの茶封筒に入っていた患部の写真を見ながら日程表に目をやり
医 「では今日が2日ですから手術の前の検査もありますので6日入院で10日の手術ではいかがでしょう?」
私 「はい結構です・・・では6日にまた来ます」
バタバタと入院や手術の日程も決まりブティックや石碾屋今後の処理をどうするかを急いで決めなければなりません
病院を出るとその足で石碾屋に向かいました
店を手伝ってもらっている叔母夫婦に「昨日と今日、病院に行って来た。癌だった」
「えー!・・・なんで!・・・」一瞬の間を置いて叔母の目から涙が溢れ出しました
叔父も私もつられて思わず涙ぐんでしまいました
「泣かないで、必ず治すから・・・でも店は暫らく休むしかないよ・・・」
12月4日(土)は夜の予約が入っていたのでそれはスムースに終わらせたかったしワザワザ遠くからお越し頂くお客様を考えると5日の日曜日までは営業して6日の月曜日に入院の予定にしました
その事を叔母夫婦に伝えると急いで取引先への対応を始めました
先ずは何時も美味しい蕎麦を送って頂いている北海道のS製粉に電話して3ヵ月間の休業を伝えました
そして調味料やプロパンガス屋さん、灯油屋さん、卵屋さんなどなど思いつく取引先に長期休業の連絡をしました
営業カレンダーの編集や営業予定の書き換えなどサイトの営業予定も変更しなければなりません
更に表には長期休業の立て看板を作らなくては・・・
「例え休んでいても店の掃除は毎日絶対欠かさないで・・・何時でも開店できるようにしておいてね」
「クモの巣なんか張られたらだめだよ、例え休んでいても給与は毎月必ず出すから心配しないで」
石碾屋で出来る事は全て手配してから両親に報告に向かいました
年老いた両親は街外れに夫婦2人で暮らしています
昨日からの経過を報告すると母は薄っすらと涙を浮かべながら・・・
「最近変だと思っていた・・・」
「逆タマは嫌だよ!」・・・逆タマとはこの辺りの方言で順序が逆になることを言います
父は黙ってうつむいていました
両親の子供は3人でしたが妹は戦後間も無く1歳にもならないうちに急性肺炎で死亡しました
姉は私が小学2年生の時に5年生でしたが再生不良性貧血という難病にかかってしまいました
当時は何の治療法も無く毎日売血を買って輸血するだけしか延命の方法は無かったのです
「もう注射針を指す所が無い」と首にまで・・・
ある日の明け方に私は祖母から「姉ちゃんが死んだよ」と起されました
今では骨髄移植で助かるかもしれませんが姉には全財産を輸血に使い果たしたのですが助ける方法はありませんでした
両親の無念は当時から心に染みています
残った最後の子供にはせめて自分達より先に死んで欲しくない・・・それは年老いた両親として当然の願いでしょう
「必ず治って見せるから!」と言い残して自宅に帰りました
自宅に帰ると今度はブティックの方の始末があります
先ずは息子にブティックの経理とお得意様台帳の入力の仕方を教えなければなりません
なにしろ日数は4日間しかありません・・・
息子にも始めて事態の全てを教えました・・・絶句!!・・・
「無駄に過ごす時間は無い!」
「今から直ぐに取り敢えず必要なことから教えるから必死で覚えるように!」
言われた方も大変だったでしょうね、突然父親が癌で死ぬかも知れない上に経理などを任せるから全てを4日間で掌握しろと言われたのですから・・・でも息子も冷静に対処してくれました
ここまでは実にバタバタと必死で中身の濃い2日間でした・・・まるで嘘のようです
しかし、いざ引継ぎを始めてみると時間はまったく足りません・・・当然ですね
翌日になるとやはり土曜日の予約は不可能と判断し、やむを得ずご予約頂いたお客様にお断りをすることにしました
幸いにもご予約頂いたお客様は医師でしたので事の次第をおおまかにご説明すると・・・
「それは残念ですがやむを得ないですね、必ず治して下さいね、また予約します」とご快諾頂けました
日曜日の営業も急遽中止して直ぐに6日からの臨時休業を3日からに変更し、サイトの書き換えなどに追われていました
それから5日の日曜日まではブティックの業務引継ぎに集中しました