宣告

最初の異変は石碾屋開店から1年半程経ってようやく常連さんも増えてきて経営も安定しそうになってきた2004年3月頃のことでした
或る日、いつものように便意をもようしてトイレに入った時です
何となく肛門から生暖かい液体が突然ドバッーと大量に出たのを感じました
「あれっ!」と思って便器を覗いてみたら真っ赤な色をした液体が便器一面を占領していたのです
「えー!!・・・血だ!・・・こんなに!」それも本当に見事に綺麗な色の鮮やかな赤が一面に・・・
一瞬言葉を失いました
そして・・・「わーお・・・これで私も大血主か・・・(^_^;)」
少しは驚いたもののその時は軽く考えていましたので軽いジョークのような感じでした
不思議なことに痛みや違和感は身体のどこにも全く何も感じられませんのでそれほど深刻には考えなかったのです
先ずは早速薬局に行って、「取り敢えずどれでも良いや」と適当に選んだ痔の薬を買って来て自前での治療を開始しました
それから約2ヶ月の間特に大量の出血は有りませんでしたが用便を済ますと便は必ず真っ赤な液体で覆われていました
痔の薬も3種類ほど試して見ましたがどれも全く効果は感じられず何の変かも有りませんでした
それどころか5月の中旬になった頃になると下痢の症状が出始めたのです
「これは変だ・・・」と感じ始めました
Googleで「下血 & 下痢」で検索してみると出てきたのは「痔」は勿論ですが大腸炎や・・・などなど大腸関係の病名がズラーッと出てきました
「これらの中のどれかだろうな・・・(-_-;)」
石碾屋の来客数もやっと安定してきていましたし、手打ち蕎麦屋巡りのスタンプラリーのスタートが目前に控えていました
このスタンプラリーとは秋田県内で初めての試みとして真面目に一生懸命蕎麦を打っている7軒が「秋田県にもこんなに美味しい蕎麦屋がある」ことを県民の方々に知ってもらいたいと共同で始めようとしている大切なイベントでした
ポスターの印刷準備も始まってたった7軒でのスタートですからここで私が抜けては企画その物が水の泡となってしまいます
それやこれや様々な条件が重なっていて今ここで病院に行く気にはなれませんでした
そして更に2ヶ月余り・・・夏に入ってからはスタンプラリーのお客様もそれなりにご来店頂き、蕎麦の評判も上々 (^.^)
暫らくは安定した経営状態になっていました
しかし下痢と下血は未だ続いていたのです
食事を採ると下痢をする・・・食事を極端に減らしてゼリー状食品などでエネルギーを補充する毎日でした
開店当時に有った体重は70kgでしたが60kgまで落ちていました
流石にこの頃になると常連の方々からも「痩せましたね」などと言われる事が多くなりましたが下痢と下血以外の症状は全く無いので表面上は痛くも苦しくも何とも有りません

私は2足のワラジを履いています
もう1足はブティックの経営です
実際の営業は妻と息子に任せていますが経理は全て私が行なっていました
特に重要なのがお得意様の管理です
PCで全て管理していますが使用しているアプリケーションは私がMicroSoft Basicで開発したものです
このMicroSoft Basicはチョット特殊で、マイクロソフト社がNEC専用に開発した構造化BasicでISAMデータを扱うことが出来ます
データベースを扱うことが出来るので非常に便利で顧客管理などはお手のものです
依頼を受けて某有名メーカーの県内進出工場の製産工程を管理するアプリケーションなどもこれで作成しました
自作のお得意様管理アプリで1988年ころからのお得意様のお買い上げから入金などの取り引きが台帳に表示できます
中身は全て解っていますからマニュアルも無く私が入力をしていました
当然未だにNECのDOSマシンです
そして9月はブティックの決算です・・・半端な時期ですが会社設立の時にそのように決めてしまいましたので何とも・・・
つまり私以外に経理やお得意様管理の入力が出来ない・・・というか教えてこなかったのです
自分は常に元気で事故も無くこれからも生きていくと思ってしまっていたのですね
11月に入って下腹に何か違和感を若干ですが感じるようになりました
ブティックの決算も終わり、スタンプラリーも終わりその他諸々の取り敢えずのシガラミが無くなったのが11月末日でした

12月の1日と2日は定休日でした
1日にたまたま秋田市の日赤病院に行く用があったので「先ずは病名だけでも知っておくか」位の気持ちで診てもらうことにしました
消化器内科で受付を済ませて改めて回りを見渡すと「なんて多いんだろう・・・」
自分が患者として最後に病院に行ったのは何時だったろう・・・15年前?20年前?いやもっと・・・
そうこうしている内に2時間ほど待たされてやっと私の番に
診察室に入って椅子に腰掛けました
メガネを掛けた痩せ型の割と若い先生でした

医 「どうしました?」
私 「下痢と下血が酷くて・・・」
医 「何時頃からですか?」
私 「春頃からです」
医 「先ず検査してみましょう」

別の検査用の待合室で10分ほど・・・
内視鏡検査をする事になり下剤を注射され2リットルの液体を飲まされました
暫らくして便が水のようになったのを確認してから内視鏡を
腹が張るようで苦しいのを我慢しながらやっと終了
検査医の言うには
「ポリープの大きいのがありましたが内視鏡では取れない大きさなので外科的処置が必要です」
「あとは前の処で待っていて下さい」

10分ほど待って再び診察室へ入って椅子に座ると2〜3枚の写真を選びながら見せて
医 「癌です・・・進行性で2ヶ所あります」
医 「こことここで一つは肛門から7〜8cmの処、もう一つは肛門から2cm位の処です」
医 「特に奥の方は腸が狭まっていて内視鏡がその先には入らなかったそうです」
医 「直ぐに手術をしないと今にでも腸閉塞を起す可能性があります」
医 「江幡さんは本荘ですね、どこで手術をしますか・・・急いだ方が良いですよ、もし本荘でするのであれば紹介状を書きます」

言葉を挟む余地も無く一方的に淡々と・・・
指し示された写真を見ると奥の方といわれた写真にはまるで火山から吹き出てきた溶岩のような醜いゴツゴツとした細胞の塊が腸壁を一周するようにへばりついて中心部にかろうじて小さい空洞が・・・
そして肛門から2cmといわれた部分には同じようにゴツゴツした塊が凡そ半周・・・ある程度の癌は覚悟していましたがこれほどとは!!
これをまざまざと見せつけられたらもう手術で取り除くしか道は無いように思えました
でも私はとても落ちついていました・・・まるで他の人が言われているように
不思議ですね・・・その時私が驚いていたのは「癌の宣告」にでは無く、来たばかりの本人にいきなり「直接癌宣告」とは・・・
ドラマなどでは本人に宣告するかどうか医者が悩んだり家族に相談したりなどの場面を見たことはありますが「まさかいきなり本人に癌宣告とは・・・」本当にそちらに驚いていました
「いきなりそれは無いでしょう!」と言う感じです
私の父も胃癌でしたがその時は家族が呼ばれ私に相談されたので本人には内緒にして胃潰瘍と云う事にしました
幸い手術も成功し、年も70を越えていましたのでその後は特にさしたることも無く85歳の現在も健在です
でも、今はそうなんですかね・・・本人にいきなり癌宣告とは・・・
今回は自分のことなので心の中では「未だ余命3ヵ月とか言われたわけでも無いし・・・」などと漠然と気楽に考えていました
最初に頭の中をよぎったのは「石碾屋を何時まで休まねばならないか・・・」だったのです
「癌」=「不治の病」=「死」という構図は私の頭には全くありませんでした
そうは言っても私も様々なシナリオを持っていましたがその中でも最悪に近いシナリオだったのは間違いありません
どおりで内視鏡検査が終わった時に看護師さんの視線に哀れみの表情が感じられたんですね

私 「手術をするのであればここでお願いをしたいのですが通ってくる家族の負担を考えると何処でするかは相談してみないと・・・」
医 「解りました・・・じゃぁ相談して明日は外科の方で受け付けして下さい」
私 「はい そうします」
私 「ところで、直腸癌であれば人工肛門になる可能性はどうでしょうか?」
医 「私は外科ではありませんのでハッキリとは言えませんがこの場合、肛門から2cmしかありませんから避ける事は出来ないと思います」
私 「・・・そうですか・・・ありがとうございました」

診察室をでると看護師さんが追いかけてきて
看 「外科の方に聞いて見ましたら明日の11時が空いてるそうですので予約を入れておきました」
私 「ありがとうございました」

帰りの車の中で妻に一部始終を話しました
やはりかなりショックを受けたようですが割合落ちついてじっと話を聞いてくれました
私 「手術は何処にしようか?秋田だとやはり片道1時間は掛かるし、冬道の1時間はキツイよね」
妻 「任せます・・・それは何とかしますから好きなところで・・・」

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